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歴史談義の間
- 1 :管領 佐竹重隆 :2005/04/05(火) 23:25 ID:8o6kGxoY
- スレ住人の皆様に歴史談義を楽しんで頂くために、幕府として一室設けました。
人物でも建造物でもその他なんでも、話し合いたいテーマや歴史に関する疑問など気軽に出して頂ければと存じます。
幕臣が話題の盛り立てのお手伝い致します。尚、ネタ及びネタに対する掛け合いは本スレでお願い致します。
- 34 :山野野衾 :2005/05/17(火) 00:15 ID:kfNtPqOI
- 道長自身もなかなかのものでしたが、妻子の長生きぶりも目立ちます。
牛乳や蜂蜜(当時は強壮剤でもあった)を口にしていた実資も。
- 35 :管領 佐竹重隆 :2005/05/17(火) 16:20 ID:WwbZmBjc
- >>34 上東門院87歳、頼通83歳、教通80歳ですものね。本人は62歳で薨じてますが。
しかし長徳元年の疫病は酷いですよね。
3月〜6月に道隆、道兼、左大臣源重信を始め、公卿8人が世を去るとは……
実資は90歳ですか。すごい。
- 36 :山野野衾 :2005/05/18(水) 00:16 ID:1sV8lf9s
- 正暦五〜長徳元年は、天平以来の酷い年でしたね。
某井戸の水を飲めば疫病から逃れる事が出来るという流言が飛び交い、
検非違使は溝の死骸を取り除けさせ、朝廷は流言事件から一月も経た
ない内に、石塔供養を行わせている。
『三宝絵』に「よろづの春のつつしみ」と記されていた石塔供養は、息災
を目的とした行事として、広く知られていました。
『枕草子』の、「大納言まゐりたまひて」はこの頃の話。
- 37 :管領 佐竹重隆 :2005/05/18(水) 15:47 ID:DLkHXOGc
- 藤原為頼が長徳元年疫病の時
昔見侍りし人々、おほく亡くなりたることを嘆くを見侍りて
「世の中にあらましかばと思ふ人なきが多くもなりにけるかな」
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